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鎖国とキリスト教禁教を元教師が多面的に問い直す:正解は一つじゃない

鎖国踏み絵

こんにちは、なおじです。

鎖国」と聞いて、みなさんはどんなイメージを持ちますか?

「閉じた国」「遅れた時代」——そんなイメージが浮かぶかもしれません。

でも、授業で社会科を35年間教えてきたなおじから言わせると、「鎖国はダメだった」「禁教は間違いだった」と一言で片づけるのは、ちょっと待って、と思うんです。

本郷和人×簑原俊洋『「外圧」の日本史』第6章「キリスト教の弾圧」には、鎖国と禁教を多面的に考え直す材料が詰まっています。

この記事では、本書を手がかりに、鎖国・禁教の背景を整理します。

そして最後に、教師を卒業したブログ書きとして、「なおじならどう考えるか」も正直に書きます。

授業では生徒に押しつけないのが教師の流儀。

でも定年退職したら、自分の考えを堂々と書けるようになりました(笑)。

🖊️この記事でわかること

  • 鎖国・禁教の背景にあった「日本人奴隷貿易」という衝撃の事実
  • なぜ為政者はキリスト教を野放しにできなかったのか
  • 多面的・多角的に考える」とは具体的にどういうことか
  • 家康を批判する本書の主張と、なおじが加える留保
  • なおじが考える「本当の問題は家康ではなく260年の惰性」
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目次

鎖国と禁教の「多面的」な見方とは

社会科が「正解を教えることに禁欲的」な理由

社会科の授業では、「正解はこれだ」と一つの答えを押しつけないことが求められています。

文部科学省の学習指導要領解説でも、鎖国については「キリスト教の禁止、外交関係と海外情報の統制、大名の統制などの面があったことに気付かせること」と書かれています。

一面だけでなく、複数の面から捉えなさい、ということですね。

では「多面的」とはどういうことか、鎖国を例にして整理してみましょう。

面(側面)内容
平和維持大きな対外戦争が約260年なかった
大名統制外様大名が勝手に海外貿易で力をつけられなくなった
発展遅滞軍事技術・外交感覚が19世紀に大きく遅れた
文化的成熟江戸の町人文化・教育・識字率が国内で深化した

「多角的」はさらに一歩深い視点

多面的が「いろんな側面を見る」なら、多角的は「同じ側面を、異なる立場から見るとどう見えるか」です。

たとえば「鎖国=平和維持」というプラス面を見るにしても、こう変わります。

  • 江戸幕府から見た平和維持:権力を維持する手段として合理的な選択。
  • 農民から見た平和維持:戦乱がなくなり、年貢を納めれば生活できる安定感。
  • 外様大名から見た平和維持:海外で力をつけるルートが閉ざされた束縛。
  • キリシタンから見た平和維持:信仰を広めれば処刑される。平和どころか恐怖。

同じ「平和維持」という面でも、立場によってまったく違う景色が見える。

これが社会科で「多角的」な見方を身につける、ということです。

キリスト教禁教の背景:本書が描く驚きの事実

奴隷貿易が禁教を動かした

『「外圧」の日本史』で最も印象的だったのが、日本人の奴隷貿易への言及です。

1549年にザビエルが来日して以来、南蛮貿易の利益に引かれた大名の庇護もあって、キリスト教信者は急増しました。

1587年ごろには九州・畿内を中心に約20万人に達したといわれます。

ところがその裏で、ポルトガル船が日本人を奴隷として海外へ連れ出すという現実がありました。

秀吉がバテレン追放令を出した背景の一つには、「日本人の人身売買」に対する強い怒りがあったとされています。

「信仰の問題」だけではなく、「日本人が売られていた」という現実。

ここを押さえると、禁教の意味がかなり変わってきます。

領主の忠誠を奪う宗教という脅威

もう一つ、支配者たちが恐れたのが「主君への忠誠心より神を優先する信者」の存在でした。

本書では、宣教師が最も自分たちに似た宗派として「一向宗」を挙げていると紹介されています。

「南無阿弥陀仏を唱えれば極楽に行ける」という一向宗の救済論は、「善行で天国へ」というキリスト教の発想に似ていた。

だから宣教師から見ると、一向宗は「最大の商売敵」だったわけです(笑)。

一方、信長がなぜ一向一揆を徹底弾圧したかというと、「阿弥陀仏のために戦えば極楽に行ける」という思想は、世俗的な主君の命令より宗教的権威を優先させます。

これは「私より神の方が偉い」という構造であり、信長・秀吉・家康など為政者にとっては受け入れがたいものでした。

信者の忠誠が神に向かうとき、主君はどうすればいいのか。

その問いへの答えが、禁教令だったのです。

👉関連記事:『「外圧」の日本史』書評:本郷和人と簑原俊洋が解き明かす日本の国家形成【前編】

家康は「日本を弱くした」のか

本書の辛口評価を整理する

本書で簑原氏が踏み込んだのが、「家康が日本を世界における地位を下げた」という評価です。

信長・秀吉の時代まで、日本は世界トップクラスの軍事大国だった。

しかし江戸幕府が「幕藩体制の存続を第一」に守備的な姿勢をとったことで、軍事技術・外交・海洋進出の面でどんどん後れをとっていった、と。

それは確かに、一面の真実だと思います。

しかし、260年後ペリーの黒船が来た時、欧米との差は相当に大きくなっていた。

なおじが加える「でも、一面だけじゃない」

ただなおじは、「家康=悪玉」と単純に断じるのは少し待ちたいと思っています。

幕府が260年の平和を実現した結果、

  • 農業生産力が上がり、人口が増えた
  • 識字率が世界的にも高い水準に達した
  • 寺子屋・藩校という教育インフラが全国に根付いた

この蓄積があったからこそ、明治維新後に急速な近代化が可能になったとも言えます。

「軍事面・国際面ではマイナス」「社会・文化・教育面ではプラス」——そうトレードオフとして見るのが公平ではないでしょうか。

歴史を「あの人がダメだった」と個人の責任に帰すのは、なおじの癖でいうと「あの授業がダメだったのは担任のせい」と言うようなもので、構造や時代の流れを見逃しがちです(笑)。

なおじが考えるキリスト教と鎖国:ただし教師は生徒には押しつけない

「初期の禁教はやむを得なかった」という立場

ここからは、ブログ書きとしてのなおじの個人的な考察です。

教師として授業をしていたころは、「これが正解だ」と押しつけることは絶対にしませんでした。

生徒に多面的・多角的に考える力を育成することが、指導要領に規定されているからです。

でも、定年で教壇を離れた今は、「なおじはこう思う」と言えるようになりました。

なおじ自身の考え・立場をまとめると、こうなります。

初期の禁教・鎖国は、為政者として理解できる判断だった。

まだ人の命の価値が今ほど高く見られていなかった時代、宗教対立が一気に内戦や虐殺に発展しかねなかった時代に、キリスト教を野放しにするのはリスクが大きすぎた。

日本人が奴隷として売られていた事実を踏まえると、民衆の視点から見ても「当初から完全自由は早すぎた」と思います。

本当の問題は「幕府初期の慣性」——そして260年の停滞

ただし、それが問題ないということにはなりません。

為政者の決断には「出口戦略」も含まれるべきです。

一点、史実として確認しておくと、鎖国を「完成」させたのは実は家康ではありません。

鎖国令は3代将軍・徳川家光の時代、寛永10年(1633年)から寛永16年(1639年)にかけて五度にわたって発令され、島原の乱(1637年)後の危機感も重なりながら完成しました。

将軍鎖国に関わった主な動き
初代・家康貿易には積極的。キリスト教宣教師の派遣には不応。鎖国の主役ではない
2代・秀忠キリシタン禁教を本格化、鎖国体制の始動期
3代・家光寛永10〜16年(1633〜1639)に五度の鎖国令を発令し、1639年に鎖国完成

正確に言えば、「2代・秀忠から始まり、3代・家光が完成させた」のが、いわゆる鎖国体制といわれるものです。

つまり、「家康が閉じた」というより「江戸幕府初期の将軍たちが、段階的に仕上げた」のが実態です。

その意味で、安全保障上の配慮として始めた禁教・鎖国政策を、社会が安定した18世紀以降もそのまま維持し続けた幕藩体制の「現状維持体質」こそが問題だったとなおじは考えます。

家康個人というより、その後に続いた将軍・幕閣の誰も「開き直す転換点」を作れなかった、あるいは作ろうとしなかったことの方が、歴史的には重い問題だったように思えます。

言ってみれば、「最初の判断はわかる。でも200年以上同じでいいはずがない」ということです。

これは21世紀の日本でも似たことが起きているように感じますが、それはまた別の話で(笑)。

👉関連記事:元教師が驚いた『外圧の日本史』書評(後半)|鎖国から敗戦まで対談で読み解く

島原の乱は何だったのか

三つの解釈が複合した事件

本書でも議論になっている島原の乱(1637〜38年)。

その性格については大きく三つの見方があります。

解釈内容
キリシタン一揆説信仰弾圧への抵抗が核心
農民一揆説重税・飢饉など経済的苦境が主因
浪人一揆説改易された大名の浪人による不満が主体

本郷氏は「三要素が複合していた」としながらも、幕府が一番恐れたのはキリスト教だったと述べています。

原城跡から人骨がほかの城跡と比較にならないほど大量に出てくるという話には、なおじも背筋が寒くなりました。

鎖国完成のトリガーになった事件

島原の乱の後、幕府はポルトガル船の来航を禁止し、出島のオランダ商館への隔離を徹底しました。

絵踏・宗門改による摘発が日常化し、いわゆる「鎖国」と後世に呼ばれる体制が固まっていきます。

ここで「賢いオランダ」の話が興味深い。

プロテスタントのオランダは「自分たちはカトリックのスペイン・ポルトガルとは違う、商売だけやればいい」という姿勢を貫き、幕府との関係を維持したわけです。

「宗教より商売」という割り切り方が、200年以上の貿易権を獲得したのです。

なかなかしたたかですよね(笑)。

Q&A:よくある疑問に答えます

Q1. 鎖国は「完全な閉鎖」だったのですか?

A. いいえ、実態は「選択的な管理開国」に近いものでした。

長崎でのオランダ・中国との貿易、対馬を通じた朝鮮との交流、薩摩による琉球との関係、アイヌとの北方交易——これらは学習指導要領でも明示されている通り、「統制の中にも交易や交流が見られた」状態だったのです。

「鎖国」という言葉自体、幕末以降に作られた概念という説もあり、「海禁政策」「限定的開国」と表現した方が実態に近いという研究者もいます。

Q2. キリスト教と一向宗は本当に似ているのですか?

A. 宣教師のレポートに「一番の商売敵は一向宗」という記述があったと本書は紹介しています。

「一心に念仏を唱えれば極楽へ行ける」という一向宗の救済論と、「信じれば天国に行ける」というキリスト教の発想には、確かに構造的な類似があります。

ただし教義の細部はまったく異なりますし、宣教師が一向宗を正確に理解していたかは別問題です。類似の「雰囲気」に気づいていた、という程度に受け取るのが適切でしょう。

Q3. 「多面的・多角的な考察」は授業でどうやるのですか?

A. 学習指導要領解説では、「それは何か」「なぜか」「それはどうなるか」「諸事象の関係から見いだせる時代の特色は何か」という問いを連続させる授業設計が示されています。

鎖国なら「なぜ幕府は鎖国を選んだのか」→「鎖国で守ったものは何か、失ったものは何か」→「農民・大名・外国商人のそれぞれから見てどう見えるか」という問いの連鎖が有効です。

なおじが授業でよくやったのは、「あなたが農民(将軍)(外様大名)だったら、鎖国に賛成か反対か。3つ(以上)の面から考えて理由を言いなさい」という問い。

えっ、そんな問いでいいの?と思われるかもしれませんが、正解がない問いだからこそ、生徒が自分の頭で考えるんです。

Q4. 「信長が長生きしていたらスペインと戦える大国になった」は本当ですか?

A. これは本書に登場する「歴史のif」です。

簑原氏は「パックス・ニッポニカ」とユーモアを交えて語っています。

ただし、当時のスペイン帝国は圧倒的な財政基盤と世界規模の植民地ネットワークを持っており、日本が直接勝利できたとは言い切れない、というのがなおじの見立て‥。

本郷氏も「その結果、日本がスペインのように停滞したかもしれない」と付け加えており、「歴史のifは面白いが、一方向に決めつけない」が正直なところだと思います。

Q5. なおじは授業でも「初期の禁教は仕方なかった」と教えていたのですか?

A. いいえ、授業では自分の考えを押しつけることはしませんでした。

これが教師の流儀です。

生徒には、「為政者の立場から見ると」「民衆の立場から見ると」「キリシタンの立場から見ると」という複数の視点を提示し、「あなたはどう考えるか」を問いました。

そして、生徒の言葉を捉え『「260年間の平和維持、という面を将軍の立場からみると、効果あり」と○○さんは、捉えているんだね』と教室全体に位置づけます。同じように、「停滞」なども、板書に位置づけました。

「なおじはこう思う」と言えるようになったのは、定年退職してブログを書き始めてからです(笑)。

筆者紹介|なおじ

なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。

社会科・歴史を長年教えてきたので、時代背景の整理と多面的な考察が得意分野です。「多面的・多角的に考える授業」を研究した指導主事時代・全中社理事時代の経験が、このブログの根っこにもなっています。

現在は8つのブログでドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評を書いています。

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